狩猟採集を中心とした生活を送った縄文時代には、数戸から数十戸の竪穴住居が集まった集落が初期に作られ、次第にその規模が大きくなり100戸を超える集落も形成されています。
集落が形成された痕跡を示す貝塚や住居跡から、集団に一定のルールが存在したらしい一方で、住居の大きさにほとんど差がなく、貧富の差や身分制度はなかったと推測されています。
縄文時代の人骨からは、人との争いでの傷も他の時代に比べて極端に少ないことから、戦争もなかったと考えられ、平和な時代であったとも考えられています。
縄文時代に、身分制度や貧富の差がなかった理由を考察してみます。
縄文時代に身分制度や貧富の差が生まれなかった理由には?
菜畑遺跡や板付遺跡では、縄文時代の後半には稲作が行われていたことが確認されていますが、約1万年も続いた縄文時代の大半において、狩猟採集を中心とした暮らしを送っています。
鹿やイノシシといった獲物を獲得できても、現代のような冷蔵庫も貯蔵法も確立されていない縄文時代には、腐敗する前に食べ切るしかなく、一人で食べきれる量ではない獲物を集団を構成する人と分配する方が、自分の身の安全と集団の維持に有益だったと考えられます。
貨幣が流通していない縄文時代の富、あるいは蓄えといった概念にあたる狩猟によって得られた獲物が、備蓄が効かず、集団での分配がある程度均等に行われていたとすれば、そこに身分制度や貧富の差にもつながっていません。
縄文時代に身分制度や貧富の差がなかったのは、富の分配が公平に行われ、集団の中に指導者となる権力者が生まれなかった二つの理由が推測されます。
現代とは違う縄文時代の社会性や人間関係
縄文時代の人々は、現代人がもつ資本主義経済での物質本位の生産消費を通じての人間関係や社会性とは違い、自然との共存を最優先としながら、自然の神秘的な力を信じる思想信仰が信じられています。
現代のような経済活動による競争原理に基づいた社会行動ではなく、生きるための狩猟採集で獲得できた獲物を自分の周囲の人間に分配することで、自分の安全と集団の維持の両面を考慮していたと考えられます。
人間を主体とした考え方ではなく、人間が自然の一部であると認識した考え方は、亡くなった人の遺骨が貝塚から発見された遺跡もあることからも同様に推測できます。
縄文時代に身分制度や貧富の差がなかった理由には、富の蓄財ができなかったことと、それゆえに生まれた集団の中での平等があったと考えられます。
縄文時代にみられる集団と自然との共存共栄
氷河期が終わり、温暖化傾向となった縄文時代には、自然と密接な関わりを持ちながら狩猟採集を中心とした生活を送っており、集団での共存共栄を図っています。
縄文人には、現代人とは違い人間が自然の一部であるという意識が強いため、自然の神秘的な力を信じる思想も強く、狩猟採集で得られた獲物を集団内で均等に分配したと推測され、富が一部に偏ることもなく、貧富の差も生じていません。
富が一部の人間に蓄財されることがなく、富の分配をめぐる争いが生じなかったことが、縄文時代に身分制度も貧富の差も生み出さなかった理由です。