現在の日本各地にある神社は、「八百万」の神を祭祀の対象とした神道の信仰に基づいた祭祀施設であり、その起源は縄文時代に遡るとも言われています。
先史時代の縄文時代に現代のような神社があったわけではないものの、大木や巨岩あるいは山などに、神が降りられる場所や鎮座される場所として祭祀の場所の痕跡があります。
自然との共存を現代人よりも強く認識していた縄文時代の人々は、自然界の万物に対して畏敬の念を抱いていたと推測され、収穫が行われる秋には祭礼も行われたと考えられます。
縄文時代の人々の信仰や神社とのかかわりなどを紹介します。
縄文時代の人々の信仰とは?
日本各地で発掘された縄文時代の集落遺跡からは、集落の中央に祭祀場と思われる遺跡が発掘され、祈りや祭祀の場所と考えられるストーンサークルがみつかっています。
文字もなく、科学が発達していない縄文時代には、地震や火山の噴火、大雨や嵐などの自然災害は、人の力が及ばない「神の怒り」と考え、自然の神々への祈りが捧げられたと推測されています。
また、狩猟や漁労を生業とした縄文人は、狩猟や漁労の成果が努力の結果とは考えず、神の思し召しとでも言うかのように、集落内で食料や物資を均等に分け割っています。
八百万の神々を祭祀の対象とした神道と同様の考え方に基づく縄文時代の人々の信仰は、祈りを捧げる場所、祭祀の場所として作られた環状列石は、現在の神社の起源にあたると推測できます。
縄文時代の環状列石にみられる祭祀
縄文時代の大規模集落遺跡の中には、竪穴住居をはじめ貯蔵穴、ゴミ捨て場の役割を果たす貝塚など日常生活に使用される施設の他に、祭祀が行われた遺構もみつかっています。
秋田県鹿角市に発掘された大湯環状列石は、祭祀が行われたと考えられる代表的な遺構で、環状列石は北側の野中堂と南側の万座からなり、内側にもサークルがつくられています。
環状列石の周辺には、貯蔵穴や土坑、集落の象徴的な掘立柱建物などと共に、土器や土偶なども出土しています。
縄文時代の環状列石は、八百万の神の祭祀施設とする現在の神社と同様の意図と信仰が感じられる施設となっていて、現在の神社の起源になっています。
神社の起源は縄文時代の祭祀施設から始まった?
神社の歴史は太古に始まったと考えられるものの、どのように誕生したのかは明確にはわかっておらず、縄文時代につくられた環状列石のような祭祀場が原型と考えられています。
日本の神社は、自然崇拝を中心とした神道の信仰が元になっていて、縄文時代の人々が、人の力が及ばない自然への畏怖の念を抱き、集落の中心に作られた祈りや祭祀の場所にその意図の共通点がみられます。
縄文時代の人々は、秋田県の大湯環状列石のような祭祀場を設けて祭事を行い、人が住む世界とは異なる神の居る世界を祭祀施設として作り上げていて、現在の神社の原形になっています。