縄文時代と弥生時代、それぞれ時代での食べ物の特徴と違い

古代日本人が何を食べていたかは、各地で発掘された縄文時代や弥生時代の集落遺跡にみつかった貝塚や住居跡の調査結果から次第に解明されています。

学校の歴史の教科書では、縄文時代と弥生時代の違いといえば、狩猟採集と稲作の違い、縄文土器と弥生式土器の違い、集落とムラやクニの違いなどの記述がみられます。

ひとつの時代が約1万年もの間続いた縄文時代がはじまった当初は、それまでの旧石器時代と同様に、獣を獲物とした狩猟や植物の採集を中心とした食物確保が行われ、時間の経過と共に、植物の採集に加えて栽培も行っています。

日本人の直接の祖先と考えられる縄文時代と弥生時代の人々が、どんな食べ物を食べていたかを紹介します。

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縄文時代の人々が食べていた食べ物には?

縄文時代の人々が食べていた食べ物は、大森貝塚の発見以来、各地でみつかる縄文時代の集落遺跡調査でも貝塚が調べられ、全体像が解明されています。

縄文時代にはマンモスなどの動物を追いかけて骨についた肉の塊を頬張っているようなイメージがありますが、調査結果からは、縄文人はクルミ、クリ、とちのみ、ドングリなどの固い皮のある木の実を採集して主食とし、余った分は竪穴式住居に穴をあけ土器などに入れて貯蔵しています。

縄文時代の特徴でもある縄文土器が活用され、ドングリやとちのみのアク抜きのために加熱と水でさらすという調理が加えられています。

粉にされたドングリやとちのみは、現在のクッキーのように焼いたり、粥や雑炊にして食べられ、狩猟で得られた鹿やイノシシを中心とした獣の肉と煮込み料理にも利用されています。

また、列島各地に流れる海流に沿って生息する魚介類が採られ、魚肉は燻製にして貯蔵され、内陸部との交易も行われています。

縄文時代の人々が食べた食べ物には?

縄文時代の終わりに大陸から伝わった稲作により、弥生時代に入ると水稲栽培が生業となりますが、当初は米の生産性が低かったために、縄文時代と同様にドングリなどの広葉樹の木の実を粉にした食べ物を活用して補完していたと考えられます。

水稲栽培が本格化された弥生時代には、大麦と小麦を中心としながら、アワやヒエといった畑作物の栽培も行われ、米の収穫量を補うための食べ物として利用されています。

旧石器時代から縄文時代、弥生時代とつながる食習慣の中で、日本では植物の採集や栽培、それに稲作が中心となったことで、肉食中心にはならず、米を中心としながら、魚介類を副食とする食文化が形成されています。

縄文時代と弥生時代でみられる食べ物の変化

旧石器時代から続く狩猟採集を中心とした食生活を送ったと想像される縄文時代の食べ物は、意外にも温暖となった気候を背景としたドングリやとちのみといった広葉樹の木の実を粉にして、煮込み料理や雑炊のような食べ物が食べられています。

稲作が始まった縄文時代の終盤から弥生時代には、水稲栽培を生業としながらも、米の生産性の低さを補うために、大麦や小麦などの畑作が並行して行われ、米を主食としながら魚介類を副食とする食文化が徐々に構築されています。

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