縄文時代のゴミ捨て場とは?貝塚とは?

最近スーパーなどで使われるプラスチック製の袋のゴミが、ニュースで話題となっていますが、縄文時代の生活で出されたゴミはどのように処理されていたのでしょうか。

アメリカ人動物学モースによって発見された大森貝塚は、縄文時代の存在が明らかになった遺跡として有名ですが、この貝塚と呼ばれるものが縄文時代のゴミ捨て場にあたると考えられています。

貝殻がたくさん発見されるために、「貝塚」と名付けられていますが、貝殻だけでなく、動物や魚の骨、土器や石器の破片なども捨てられているため、当時のゴミ捨て場とされています。

日本各地で発見された貝塚は、2300以上におよび、貝塚からは人骨も発見されているため、単なるゴミ捨て場ではなく神聖化した場所とも解釈されています。

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縄文時代の名前の由来になった大森貝塚

大森貝塚は、縄文時代後期から末期の貝塚で、アメリカ人動物学者モースによって発見された土器に縄目状の紋様が由来となって、縄文時代という名称が付けられています。

縄文時代が始まり温暖化した気候が、後期から始まった寒冷化によって動物などの減少により、海産物を中心とした食生活の結果、縄文人が捨てた貝殻が積み重なって貝塚ができたと考えられています。

日常生活で生じる貝殻をはじめ、動物や魚の骨などが一箇所に集められた貝塚は、縄文時代のゴミ捨て場と推察でき、文字がなかった縄文時代の食生活や健康状態を推測できる貴重な資料といえます。

通常、人や動植物といった有機物は、長い時間の経過とともに微生物によって無機物に分解されるため痕跡が残りませんが、貝殻が積み重なった貝塚では、アルカリ性に偏る土壌によって、その痕跡が残りやすくなっています。

縄文時代のゴミ捨て場である貝塚からわかることは?

縄文時代の人々の生活でゴミ捨て場にしたであろう「貝塚」からは、縄文人が食べたであろう魚貝類の貝殻や骨、動物の骨、糞石と呼ばれる排泄物の化石などがみつかっています。

これらの遺物からは、縄文人が摂取したカロリーが低カロリーだったと推測され、不足するカロリーがドングリやクルミなどの広葉樹の木の実で補われていたと推測されています。

日本全国で2300以上発見されている貝塚は、千葉県が最も多く、茨城県や宮城県などでも多くみつかっていて、単なるゴミ捨て場とは思えない場所もみられます。

狩猟の相棒となっていた縄文犬が埋葬されていたり、埋葬された人骨、使えなくなった狩猟の道具や土器などが貝塚から発見されていることから、生まれ変わりを信じた縄文人にとっては、貝塚を神聖化した場所と考える説もあります。

貝塚は、縄文時代のゴミ捨て場?神聖な場所?

縄文時代の名前の由来となった大森貝塚は、縄文時代後期から末期の貝塚で、縄文人が捨てた貝殻が積み重なってできています。

縄文人の食べカスや残飯などの一箇所に集めたゴミ捨て場だったと推察される貝塚は、貝殻の存在によって周囲の土壌がアルカリ性となったことで、当時のゴミが比較的遺された状態となり、縄文人の食生活や健康状態を調べる資料となっています。

その一方、貝塚によっては、埋葬された人骨や縄文犬などの動物が埋葬された痕跡から、貝塚を神聖化していたとも推測され、生まれ変わりを願う縄文人の思想や信仰も推し測られます。

縄文時代の貝塚には、当時の暮らしや文化の謎を解き明かす遺物としての価値だけではなく、現代社会におけるゴミ問題の解決のヒントも隠されているかもしれません。

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