縄文時代の遺構から見つかった高床式倉庫とは?

日本で造られた最古の高床建築の建物物は、弥生時代に造られた高床式倉庫と考えられ、縄文時代につくられた半地下構造の竪穴式住居と対比して認識されていました。

これまでの歴史の教科書では、高床式倉庫の存在は稲作による収穫物を保管する建物として弥生時代の特徴のひとつでしたが、縄文時代での存在が昨今確認されています。

1997年に富山県の桜町遺跡で出土した柱から、縄文時代中期頃には高床式倉庫の存在が証明され、弥生時代の登呂遺跡や、山木遺跡、三内丸山遺跡などからもその跡が確認されています。

熱帯地方の住居や日本の神社建築などに多く使われる高床建築は、高温多湿の自然条件に対応した建築構造を持っています。

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縄文時代の遺構から出土した高床式倉庫

地面や水面より高い位置に床が設置された高床建築の建物は、高床式倉庫をはじめ、掘立柱建物が縄文時代の遺跡から発掘されています。

縄文時代の前期中頃から中期に作られた大規模集落跡としてみつかった青森県の三内丸山遺跡には、竪穴式住居でつくられた住居群と共に、高床式倉庫の建物で構成される倉庫群が想定されています。

また、集落には、大型の掘立柱建物も存在したと考えられ、これまで縄文時代の建物といえば、竪穴式住居が代表的なものと考えられ、高床式の建物は弥生時代以降のものと考えられてきましたが、縄文時代にもすでにつくられていたことが判明しています。

高床式倉庫は、地面より高い位置に床が設置されることにより湿気対策がはかられ、ネズミなどの害を防ぐことができるため、稲作が本格化した弥生時代では穀物貯蔵のために利用が推察されます。

稲作が本格化していない縄文時代の高床式倉庫は、祭祀を中心とした利用が想像できます。

縄文時代の高床式倉庫の利用目的には?

縄文時代の遺跡から出土した高床式倉庫の跡は、穀物を貯蔵するための倉庫としての利用はもちろん想定されるものの、稲作が本格化していなかった三内丸山遺跡などにおいては、集落における祭殿としての利用が想定されています。

また、高床式倉庫と共に集落跡に発見された掘立柱建物は、地面に穴を掘って礎石を使わずに、そのまま柱を立てて地面を底床とした建物の構造をしています。

掘立柱建物の床は、高床式倉庫の床よりも高く、人の背丈を超えるほどの高さを有していたと想定されるため、階段や梯子を必要とした高床の建物で、生活の痕跡はほとんど残されておらず、祭壇や見張り台といった施設と考えられています。

縄文時代にもつくられていた高床式倉庫

稲作農耕が本格化した弥生時代に、収穫された穀物を湿気やネズミなどの害を避けるために作られたと考えられていた高床式倉庫は、近年になって縄文時代の遺跡からも、その跡が確認されています。

縄文時代につくられた高床建築の高床式倉庫や掘立柱建物は、弥生時代の穀物貯蔵の目的というよりは、祭壇や見張り台といった目的が想定されています。

狩猟や採集を中心とした自然との共存をはかった縄文時代の集落での高床式倉庫は、縄文人たちの祭祀や子孫繁栄を目的とした利用と共に集落の形成状況が推測されています。

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