石をただ砕いただけの打製石器を道具として使っていた旧石器時代から、土器を発明したことで始まった縄文時代は、マンモスなどの大型獣を獲物とした狩猟生活から、植物食を中心とした生活様式へと転換しています。
文字を持たなかった旧石器時代や縄文時代、弥生時代といった日本の先史時代の歴史は、発掘された遺跡や遺物から、さまざまな分析が行われ専門家による解釈がなされています。
縄文時代の日本列島に大陸から伝えられた稲作や鉄器などについて紹介します。
鉄器の発明と日本への伝播
鉄の存在は、紀元前3000年ごろにはすでにメソポタミアで知られていたと考えられるものの、当初は融点が高いために鉄鉱石から鉄を精錬することができず、隕鉄を鉄の材料としているものの、実際に鉄器が実用化されたのは紀元前15世紀ごろのヒッタイトと呼ばれる現在のトルコ周辺と推定されています。
鉄器の製造方法となる鉄の鍛造技術を握ったヒッタイトがエジプトなどと対峙し滅亡を迎えると、南方のアフリカ方面とヨーロッパへと製鉄法は、一気に拡散しています。
「魏志」によれば、日本列島にも弥生時代に、青銅器と鉄器がほぼ同時に朝鮮半島から伝わったとされ、その材料や器具は輸入に頼っています。
日本独自に砂鉄や鉄鉱石から鉄器を製造できるようになったのは、古墳時代を迎えた6世紀以降と考えられています。
縄文時代に伝わった鉄の使用の痕跡
火の使用によって文明を手にした縄文時代の人々は、縄文土器と呼ばれる土器を発明し、それまでの打製石器を進化させた磨製石器を生み出し、動物の骨や角を利用した骨角器などの道具を作り出しています。
しかも、大陸や朝鮮半島との交流によって、縄文時代晩期には稲作が伝わったと考えられています。
福岡県糸島市二丈町の石崎曲り田遺跡の住居跡からは、板状鉄斧(鋳造品)がみつかっていて、現時点で我が国最古の鉄器で、紀元前3世紀から4世紀のものと推測され、縄文時代晩期のものといえます。
発見された鉄斧が使用された時期と稲作が伝わった時期が重なっているため、稲作に石器と鉄器が同時に伝わって使われていたと考えられます。
鉄器の発明は、縄文時代に大陸から伝わった?
「魏志」によれば、日本列島に鉄器が伝わったのは弥生時代とされていますが、福岡の石崎曲り田遺跡の住居跡からみつかった板状鉄斧によって、縄文時代晩期には鉄器の使用の可能性が推察されています。
そのため、旧石器時代が縄文土器の発明によって終わり、大陸や朝鮮半島との交流のなかで稲作と共に鉄器が伝えられたと考えられています。