縄文時代の祭祀遺跡とは?

神社が作られる以前に神霊を祀った遺跡は、祭祀遺跡と呼ばれ、縄文時代や弥生時代といった先史時代から、宗教や儀礼上の遺跡と推定されるものの、明確な意図は判明されていません。

古墳時代以降に発掘された祭祀遺跡は、出土した小型土器やさまざまな模造品、子持勾玉などが祭具として利用された考えられています。

狩猟採集を生活の糧としていた縄文時代の人々は、自然との共存をはかり、自然界からの恵みへの感謝と同時に、台風や地震などの脅威を感じていたと想像され、各地で発見される遺跡には、祭祀場と思われる場所もみつかっています。

全国各地でみつかっている縄文時代の祭祀遺跡を紹介します。

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縄文時代の祭祀遺跡である環状列石と環状石離

縄文時代の集落遺跡には、集落の中央に祈りを捧げたと推測されるストーンサークルが発掘されています。

石を環状に配置したストーンサークルは、イギリスで巨石を使って作られたストーンサークルが有名で、縄文時代の日本列島にも178カ所で発見され、その約4割にあたる74カ所が東北の秋田県に集中しています。

縄文時代の祭祀遺跡として発掘されたストーンサークルは、石の輪が一重、あるいは二重や三重とさまざまなあり、この施設がどういった用途に使用されていたか、明確にわかっていませんが、天文台、お墓、祭祀場などの用途や、複合的な目的が推測されています。

縄文時代の祭祀遺跡として有名なストーンサークルは?

縄文時代の祭祀遺跡の約4割が集中する秋田県には、「伊勢堂岱遺跡」と「大湯環状列石」の二つがあり、祭祀跡とされるものの、お墓や天文台などの機能もあったと考えられています。

「伊勢堂岱遺跡」には、20種類以上の石が使われ、214点の土偶がみつかり、すべての土偶が壊され、妊娠や出産に関する祈願や祈りが捧げられたと推測されます。

「大湯環状列石」には、万座環状列石と野中環状列石の二つのストーンサークルがあり、二重の輪が数十個の石の組み合わせで作られ、縄文時代の祭祀に用いられたと考えられる鐸形土製品、石刀、男根状石製品、キノコ形土製品、土偶、動物形土製品、足形石製品など、すべての道具が出土し、死者を埋葬された場所と考えられています。

これらの祭祀遺跡からは、集落での祈りの場所であると同時に、並べられた列石の組石から、大型の日時計とされた可能が高く、祭祀場以外の目的も作られた集落毎に違いがありそうです。

縄文時代の祭祀遺跡にあるストーンサークル

縄文時代の集落遺跡は、環状に住居や施設が配置され、集落中央には広場が置かれ祭祀が行われたと考えられています。

秋田県に発見された「伊勢堂岱遺跡」や「大湯環状列石」といった祭祀遺跡からは、環状列石の構造や土偶などの副葬品など、死者の埋葬や生まれ変わりといった縄文人特有の思想や信仰を背景とした祭祀が推察されます。

また、祭祀遺跡によっては、天文台や日時計などの用途も推察されています。

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