今から約1万5000年から約1万年続いた縄文時代は、それまでの旧石器時代にはなかった土器の技術が登場し、食料の調理や貯蔵の方法も変化し、生活の違いが現れます。
洞窟に住みながら、獲物を追って東西南北を移動して生活していた旧石器時代から、縄文時代になると一定期間同じ場所に住みながら狩猟採集を中心とした生活がはじまります。
縄文時代の後期となり、植物の栽培、特に稲作がはじまり弥生時代となると、縄文時代にはなかった「ムラ」や「クニ」ができ、社会生活へと変わります。
食料の確保の方法が変わるにつれて変化した縄文時代と弥生時代の生活の違いなどを紹介します。
気候の変化で変わった縄文時代の生活
氷河期が終わり、温暖な気候となった縄文時代には、それまでのマンモスなどの大型の動物を獲物とした狩猟から、シカやイノシシなどを獲物にし、広葉樹林の木の実を採集して粉にして調理しています。
縄文時代の象徴的な縄文土器の使用で、それまでの食生活から魚の燻製や広葉樹林の木の実であるドングリやクルミの灰汁取り、狩猟で得られた肉の調理が可能になり、食料の貯蔵も可能になり、定住が可能となっています。
そのため、旧石器時代には獲物を求めて洞窟を転々としていた移動生活から、一定期間を一箇所で住み続ける生活の違いが、貝塚や墓などからもわかります。
また、石器の加工技術を利用して造られた丸木舟によって交易が行われたと推察されます。
稲作によって社会性が生まれた弥生時代
約1万年も続いた縄文時代の後半になると、狩猟と採集を中心とした生活に加え、栗などの植物の栽培がはじまります。
縄文時代の稲作の始まりは、菜畑遺跡や板付遺跡にみられ、弥生時代に入ると日本各地に広がりをみせ、それまでとの生活の違いを生み出します。
「狩猟」から「稲作」への変化は、縄文時代と弥生時代のそれぞれの特徴と生活の違いとなり、一人ではできない稲作に必要な農作業で、社会性が生まれ集団のリーダーや指導者が登場します。
弥生時代の後期になると、卑弥呼で知られる邪馬台国という「クニ」も誕生し、身分の違いや、大陸や朝鮮半島からの技術や文化の影響を受けた風習も始まっています。
縄文時代と弥生時代の生活の違いは食料確保の違い?
縄文時代と弥生時代の生活の違いは、「狩猟採集」と「稲作」という食料の調達方法の違いであり、使われた道具にも違いが現れています。
旧石器時代に使われていた石器に加え、土器の技術が食料の調理や貯蔵を可能にし、獣の肉や木の実の料理や貯蔵で、獲物を求めての移動生活から定住生活を可能にしています。
稲作を中心とした生活を送った弥生時代には、集団を意識した生活へと変化し、「ムラ」や「クニ」が誕生しています。