縄文時代に海を越えた丸木舟とは?

縄文時代といえば、原始人に近い縄文人が暮らすイメージを抱きがちですが、意外にも狩猟採集を行いながら土器を使用するなど、ある程度の文明を保有しています。

狩猟採集の生活だけかと思われる縄文時代の遺跡を調べると、北海道でしか取れない物産が本州で見つかったり、その逆もあったりと、日本海を渡って交流した痕跡があります。

海を渡る際に利用された丸木舟が、千葉県加茂遺跡から出土していて、縄文時代に交易が行われていたことがわかります。

縄文時代に行われていた丸木舟による交易について紹介します。

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縄文時代に作られた丸木舟とは?

旧石器時代から習得された石器の技術を利用して、一本の大木をくりぬいて作られた船が、縄文時代の丸木舟で、焼いた石を木の上に乗せて穴を作りえぐったと考えられています。

船の水上での安定性を保つために、船側に浮きをつけるなどの工夫が行われ、交易以外にも釣りやイルカ漁、遠洋漁業にも使われ、全国に160艘ほどが見つかっています。

発見されている丸木舟のうち、最古のものは、福井県鳥浜貝塚、千葉県加茂遺跡で出土したもので、縄文時代前期と推定され、両者の舟で20センチ程度の最大内深で極めて浅くえぐられ、現在のカヌーのような形状と似ています。

丸木舟を使った縄文時代の交易とは?

これまでに発見された縄文時代の丸木舟には、波よけのために舷側を補強したり、推進力を強化するための帆などが使用された痕跡はなく、現在の船舶の常識からすれば、外洋を航海できる船には思えない丸木舟ですが、活発な交易が行われた形跡は数多く残されています。

丸木舟を使った縄文時代の交易は、沿海州から樺太、北海道に渡るルート、朝鮮半島から対馬へ渡るルート、中国南部からミクロネシアなどの島々をつたって渡るルート、大陸から日本海を直行して渡るルートの4つが考えられています。

現在の日本列島の形状とは違う縄文時代の日本の地形を考慮しても、丸木をくり抜いただけの丸木舟で海峡を渡った縄文人には、現代では計り知れない航海力をもっていたのかもしれません。

縄文時代の交易に利用された丸木舟

シカやイノシシといった獣を狩猟の対象とし、広葉樹の木の実を粉にして料理した食事をした縄文時代の人々は、定住する場所以外の場所との交易もおこなっています。

全国各地から見つかっている約160艘ほどの丸木舟は、一本の大木をくりぬいて作られたカヌーのような形状の舟ですが、日本海を渡って交流したと考えられています。

現在の常識では考えられない丸木舟での海峡越えですが、各地に交易での交流を示す証拠が残されています。

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