縄文時代には、どんな人間関係が築かれていたのか?

マンモスなどの大型動物を追いかけた狩猟生活を送っていた旧石器時代には、東西南北、獲物を追って洞窟を転々とする移動生活が想像されます。

打製石器を使用していた旧石器時代が、氷河期の終わりと共に温暖化した気候により、日本列島を覆っていた針葉樹林から広葉樹林へとかわり、落葉広葉樹林の木の実の採集を中心として副次的に狩猟を行う縄文時代へと変わります。

縄文土器の発明と打製石器から磨製石器への技術革新により、固い皮に包まれたドングリやトチといった木の実が粉にされ、料理されることで貯蔵が可能となり、一定期間特定の場所での定住が始まります。

移動生活から定住が始まった縄文時代にみられる人間関係などを考察してみます。

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縄文時代に集団が形成されたことがわかる遺跡

各地で発掘された縄文時代の遺跡からは、石器や祭祀具、人骨などが発見され、人々が暮らした年代を特定したり、遺構や遺物からどんな生活をしていたかが推察されます。

文字が存在しない先史時代である縄文時代の集落の遺構からは、墓を中心として、広場、住居、貯蔵庫などが円形に配置され、円形あるいは環状の村が形成されています。

集落の中心に墓地が置かれたことから、共同体の精神的な拠り所が霊的な存在だったと推察できる一方で、集団を形成した村のような集落の中に、中心となるリーダーや指導者的なものをおかず、偶像も置かれていません。

リーダーや指導者がいない集団を形成していたと想像される縄文時代の人間関係は、構成する人が等距離にある関係といえ、上下関係もなかったと推察されます。

等距離の人間関係が可能だった縄文時代の背景と考え方には?

縄文時代に作られた集落の集団には、個人それぞれの能力差や得意分野の違いはあっても、狩猟の成果物を左右する階級は存在しなかったと想像できます。

発見された集落の遺跡からは、特別な場所を占有した住居跡がなく、身分の差が考えられる副葬品の差も無く、墓地にもそれほどの違いがみられないなどがその理由です。

こうした等距離の人間関係が成立したのは、現在のような成果主義や物質的対価といった発想がなく、自然の摂理の中で狩猟によって得られる成果が、努力だけでどうなるものでもないという理解が共有されていたためと考えられます。

しかも、現在の会社や町内会といった組織にあたる社長や役職などの関係性がなく、雇用関係や権力に従うといった人間関係がないため、集団の中で自分ができることをできる範囲で行なっていたと想像されます。

細分化された現代の社会よりもフレキシブルな人間関係が集団の中に構築されていたとも考えられます。

縄文時代の人間関係には上下関係も権力支配もない?

自然の摂理の中で、狩猟と植物の採集や栽培で生活していた縄文時代の人々が定住を始めて集落を作り、集団の中には、権力や指導者、偶像が置かれず、等距離の人間関係が構築されています。

現代社会にみられる組織の階級や権力による支配などがない縄文時代の人間関係は、集団内での個人の能力や得意分野を相互に認知しながら、それぞれが集団に役立つことを可能な範囲でこなし共存をはかっています。

縄文時代の人間関係には、成果主義や物質的対価、経済的対価といった思想も発想もなかったため、ある意味では理想の人間関係だったかもしれません。

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