縄文時代の日本と大陸とのかかわり

旧石器時代の後、約1万6000年前から約3000年前まで続いた縄文時代には、日本人の直接の祖先となる縄文人が日本列島に居住し、縄文文化を保持しています。

縄文時代となった日本列島に、列島外の大陸や朝鮮半島から移住した人々の影響が考えられる交流が、丸木舟や黒曜石などの痕跡からも推測されています。

現在の日本列島の周辺には、太平洋と日本海を流れる暖流と寒流があり、各島を隔てる海峡や内海、多数の離島などが存在し多彩な気象的な変化が生み出されています。

大陸と陸続きだった旧石器時代から、縄文時代での日本列島と大陸とのかかわりを紹介します。

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旧石器時代から縄文時代での日本列島と大陸の地形は?

約1万6000年前の縄文時代が始まった時期は、氷河時代が終わり約2万年前ごろから温暖化し始めた気候で、南極や氷河の氷が溶けて海水面が上昇しています。

それ以前の日本列島は、ユーラシア大陸と陸続きだったと考えられ、旧石器時代の遺跡である群馬県の岩宿遺跡からは、打製石器のような黒曜石の破片が発見されています。

旧石器時代に日本列島に到達した人々が縄文時代の祖先と考えられ、陸続きだった大陸を南方、あるいは北方といったどのルートを、いつの時点でやってきたのかは明確にはなっていません。

しかしながら、旧石器時代の終盤から縄文時代初頭には、陸続きだった大陸から渡った人たちが、その後の縄文人の気質の様々なことに影響を与えたと考えられます。

縄文時代の日本列島と大陸の交流には?

陸続きだった日本列島と大陸が、縄文時代には上昇した海水面によって大陸と切り離され、南方から流れる対馬海流が北方へと流入し、北海道と青森との海流と交差しています。

狩猟や採集を中心とした生活を送っていた縄文時代の人たちですが、周囲を海に囲まれた地形に変化した日本列島の各地を、丸太をくり抜いた丸木舟を利用した交易をおこなっています。

青森県の三内丸山遺跡からは、ヒスイの玉や黒曜石の刃物のようなものが見つかり、新潟の糸魚川などが産地のヒスイが青森で発見され、他の地域との交易を裏付けています。

また、中国の殷王朝における主要貨幣に使われて子安貝などの供給が、縄文人によって行われたという見方もあり、縄文時代の人々が意外にも航海術を身につけていたとも考えられ、大陸との交流の痕跡があります。

縄文時代の初頭と後半での日本列島と大陸の関わり

氷河期が終わり、陸続きだった大陸と日本列島が切り離された縄文時代の初期と後半では、交流の方法に変化がみられます。

陸続きだった日本列島へは、大陸から縄文時代の祖先となる人々が渡ったと想像され、縄文時代の文化など、さまざまなことに影響を与えています。

千葉など発見された丸木舟やヒスイ、黒曜石などによって、縄文時代の人々と大陸や日本の各地との交流を証明しています。

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