狩猟生活による移動生活を送った旧石器時代から、狩猟生活へと移行した縄文時代には、集落が形成され定住生活が始まったと考えられ、集落内での意思疎通にどんな言葉が話され、どんな文字が使われていたのでしょうか。
日本の歴史において、文字が無かったとされる先史時代にあたる縄文時代は約1万年という長い期間続いているものの、言葉や文字の記録も傍証もありません。
現存する最古の文書とされる聖徳太子が定めた「十七条の憲法」は漢文調で書かれ、日本独自の文字は、奈良時代に「万葉仮名」で書かれた古事記や万葉集が最初と考えられています。
集落での定住生活を送った縄文時代の人々が、どんな言葉でコミュニケーションをとり、文字が存在したかなどについて紹介します。
縄文時代には、どんな言葉が話されていたのか?
スペイン語とイタリア語、フランス語とドイツ語といった近親関係にある言語のように、さまざまな言語には源流と言われる祖語の存在がありますが、日本語の源流にあたる言語は直近では見当たらず、縄文時代中期よりも前と考えられています。
縄文時代中期の遺跡である青森県の三内丸山遺跡からは、500人程度の集落が確認でき、ある程度の社会生活や交易の痕跡があることからも、相互のコミュニケーションが取られていると想像でき、共通の言葉が存在していたと考えられます。
三内丸山遺跡の存在は、縄文時代中期にあたり、当時の人々が使った言葉は、それ以前の世代から受け継いだものと推察できます。
また、縄文時代と弥生時代には、南方と北方からの渡来人が日本列島へ渡ってきていて、中国大陸系の言葉と朝鮮半島系の言葉、さらに元々日本列島にいた縄文人らの言葉が同化したと推測されます。
縄文時代に文字の存在はあった?無かった?
縄文時代の言葉については、集落が形成されていたことから、前述のような推察ができますが、文字についてはどうでしょうか?
縄文時代の遺跡から発掘された縄文土器や土偶などの遺物に文字の存在は確認できず、縄目の紋様や絵が描かれ、中には記号のようにみえる象形文字らしきものは伺えます。
縄文土器に刻まれた紋様には、文字らしき記号に意味があったと推測する縄文記号の存在も指摘されています。
三内丸山遺跡にみられる大型の掘立柱建物などの建築技術を有し、集落が長期間継続した文化水準を考慮すれば、縄文記号が文字として使われても不思議ではありません。
縄文時代に話された言葉と文字は?
縄文時代に始まった定住生活では、集落内の人々のコミュニケーションが必要となり、共通の言葉が存在したと考えられます。
その後、日本列島へ渡来して来た渡来人の言葉と、縄文人達の言葉が同化したと推測され、縄文土器に刻まれた紋様には、文字らしき記号の意味が推測されています。