縄文時代の装身具と装飾品

一般的に、貴金属や宝石類を加工した装身具がジュエリーと呼ばれ、衣服を引き立てるための装飾品がアクセサリーと呼ばれるようで、言葉の解釈の上では、装身具と装飾品は似ているものの、明確な違いも存在しているようです。

今も昔も、人が身につける装身具や服に合わせた装飾品は、女性を中心として着飾られ、世界中でみられる現象で、古代の日本列島の遺跡や遺物にもその痕跡があります。

ただ、縄文時代から古墳時代の遺跡から発掘された指輪、耳飾り、腕輪、首飾り、足飾りなどの装身具には、呪術的な意味を持っていたと考えられています。

先史時代の日本列島で氷河期が終わり、定住生活をしはじめた縄文時代の装身具や装飾品を紹介します。

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縄文時代に流行した「勾玉」の目的や意味は?

縄文時代の装身具は、外敵から身を守るために、魔力があるとされたものを身に付けたのが始まりで、今のファッション性を優先したジュエリーやアクセサリーといった装飾品ではなく、呪術的な意味合いを持っています。

縄文時代の遺跡から発見された装飾品には、動物の牙やヒスイを素材とした「勾玉」が多くあり、装飾的な意味合いよりも魔除けや呪術的な意味で身に付けていたと推測されます。

動物の牙を素材に作られた「勾玉」には、狩猟の成功と豊穣信仰が表されていると推察され、日本各地と朝鮮半島で出土する範囲の広さから、装身具が交易の商品として流通した証拠ともなっています。

一方、ヒスイを素材とした「勾玉」は、犬歯を模して加工され、細かな穴が開けられたヒスイ製の勾玉は、紐を通して連ねてネックレスやブレスレットなどにして身につける装飾品とされたと考えられます。

縄文時代の耳飾り、首飾り、肢体飾り、指輪には?

縄文時代に流行したと考えられる「勾玉」以外にも、耳飾り、首飾り、肢体飾り、指輪といった装身具や装飾品といったものが発見されています。

耳飾りは、主に女性の結婚や成人といった人生の節目の儀礼の際に、女性の耳たぶを穿孔してその孔につけさせたと考えられています。

首飾りは、勾玉を連ねたものをはじめ、硬玉、動物の牙や骨などが素材に作れられ、装飾品として身に付けられたと考えられます。

現代でいうブレスレットにあたる肢体飾りには、巻貝などを素材に複数個が身に付けられたと想像され、祭祀の際などにつけられたと考えられます。

指輪については、一般的には弥生時代以降に作られたと考えられ、縄文時代には存在しなかったとされています。

縄文時代の装身具や装飾品は、オシャレ目的ではなかった?

縄文時代の遺跡から発掘された勾玉や硬玉などは、装身具のための装飾品として使われ、狩猟の成功祈願や魔除け、交易のための商品として使われています。

縄文時代の装身具は、現在のジュエリーやアクセサリーといったオシャレのためのアイテムというよりも、自然と共存した生活の中での呪術的な意味合いや魔除けといった目的で身につけられたと考えられます。

その一方、交易の証拠となるほど各地に流通した勾玉の流行は、時間の経過と共に装飾品としての意味合いを強めたのかもしれません。

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