縄文時代の人々はトイレという概念はあったか?

海外から日本を訪れる訪日外国人の中には、日本製のトイレの便器をお土産にするほど、日本のトイレは国内外で快適さと多機能が認められています。

昭和やそれ以前の落とし込みタイプの便所と呼ばれた時代を経て、現在のような水洗トイレが整備され、トイレ毎に機能が付加されていますが、それ以前のトイレはどんなだったのでしょうか。

文字が登場する以前の日本列島にあった縄文時代にはトイレという概念があったのか、設備があったのかなどについて紹介します。

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トイレの始まりはいつ?トイレが意識されたのは?

日本人がトイレを使い始めたのがいつだったのか、使い始めとなった時期は明確にはわかっていません。

しかしながら、各地に発掘された弥生時代の遺跡からは、下水道に似た構造が見つかっていて、それ以前の縄文時代の遺跡からは、川底に杭の先が確認され、その周辺からは糞の化石が見つかっています。

糞の化石が発見されていることから、先史時代から排泄行為を特定の場所で行うためのトイレの意識があったと推測できます。

それゆえ、縄文時代の人々は、川岸に張り出すような足場を作って、排泄物を川で全て流す水洗トイレのような場所を設定していたと考えられます。

江戸時代の時代劇などで使われる「厠(かわや)」という言葉は、縄文人や弥生人が川で用を足した「川屋」から生まれたとも言われています。

古代の日本でトイレが確認できる記述は?

古代の日本でトイレが確認できる記述は、古事記や日本書紀といった700年代初期に書かれたものの中に「厠」という言葉が登場していて、皇子が厠で命を狙われたなどが複数描写されています。

それらの記述からは、奈良時代前後の厠と呼ばれるトイレでは、ある程度区切られた専用の空間が存在していたと考えられます。

縄文時代や弥生時代のトイレの始まりでは、川に直接排泄物を流せるような足場が作られ、周囲と隔離された空間が設けられたかはわかりませんが、少なくとも奈良時代以前の飛鳥時代には、隔離された空間がトイレになっていたと推測できます。

縄文時代の人々が使ったトイレは川岸にある?

日本人の直接の祖先にあたる縄文時代の人々が排泄行為を川岸の特定の場所で行なったとされる排泄物の化石が見つかっています。

それらの化石の近くの川底には、杭が刺されていた痕跡が確認され、川岸に張り出すような足場が作られていたことが推測でき、自然の水洗トイレが設定されていたと考えられます。

古事記や日本書紀に登場する「厠」では、すでにある程度区切られた個室空間となっていたことも推測できます。

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