縄文時代には農耕や牧畜が始まっていたのか?

日本の先史時代にあたる縄文時代や弥生時代の違いといえば、狩猟採集と稲作といった食料確保の手段で区別されてきましたが、水田での稲作が縄文時代の後半には始まっていたことがわかる遺跡も見つかっています。

世界的な農業のイメージでは、農耕には牛や羊を放牧する牧畜も関連していて、日本の歴史では牧畜と遊牧民の存在がなく、狩猟採集を中心とした移動生活だった旧石器時代から縄文時代になると家畜を飼育した痕跡があります。

旧石器時代のあとに、それまでの氷河期が終わり温暖となった気候で、自然環境に恵まれた縄文時代は、約1万年という長い間続いています。

長く続いが縄文時代の後半に始まっていたと考えられる農耕や牧畜に関連したことを紹介します。

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縄文時代が存在した日本の自然環境は?

今から約1万5000年前といわれる旧石器時代の終わりから、始まった縄文時代は、それまでの針葉樹林に覆われた国土から、東日本にはブナを中心として、ナラ、クリ、クルミといった落葉広葉樹林に覆われ、縄文時代後期には杉林が広がっています。

自然の恵みを採集し、狩猟による生活を中心とした縄文時代には、広葉樹林の木の実である栗やトチといった堅果類が得られやすい東日本に人口が集中し、ブナやナラの林のそばに集落が形成されています。

狩猟採集を行ったといわれる縄文時代ですが、青森県で発見された縄文時代前期にあたる三内丸山遺跡からは、クリの栽培が確認され、北海道まで広がったとされるクリの分布からも、縄文時代の半ばにはクリの栽培が推測されます。

また、植物の栽培に関しては、縄文時代の中期にはクリの他にも、エゴマや蕎麦などの栽培を行っていて、自然にできた水たまりのような場所での稲作も始まっていたと考えれます。

縄文時代が長く続いた理由かもしれない農耕や牧畜

狩猟採集をして食料を確保していた旧石器時代の獲得経済から、農耕や牧畜によって食料を確保する生産経済に移行した時代は、世界史で新石器時代と呼ばれています。

世界史での新石器時代にあたる縄文時代は、旧石器時代からの狩猟採集生活を継続しながら、クリなどの栽培採集を中心とした生活へと変化していますが、牧畜の明確な証拠は見つかっていません。

縄文時代の中期に、自然にできた水たまりを利用した稲作が、後期になると大陸から伝わったとされる稲作の種籾や技術によって、佐賀県唐津市の菜畑遺跡や福岡県の板付遺跡などに本格化されたことが確認されています。

本格的な農耕といえる稲作は、弥生時代となってからと言えますが、世界史でみられる牧畜に関しては、縄文時代に猟犬としての縄文犬の飼育と、保護したイノシシが食用に飼育された痕跡が残されたり、一部では豚の飼育のデータも発見されています。

縄文時代の後期には稲作の農耕と牧畜があった?

稲作が始まったとされる弥生時代の稲作文化が、それまでの狩猟採集を中心とした縄文時代との違いとされてきましたが、青森県の三内丸山遺跡の発見から、集落や栗などの栽培が確認されています。

三内丸山遺跡の発見を受けて、最近の研究では、縄文時代の中期には稲作が始まっていたと考えられ、世界史的には農耕に連動される牧畜が縄文時代にはみられず、イノシシや豚の家畜飼育の可能性が示唆されています。

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