火山活動が活発で、氷河期だった旧石器時代の日本列島で暮らした旧石器時代の人々は、マンモスなどの大型獣を追い求めて東西南北に奔走する移動生活を送っています。
そのため、洞窟などを住まいとしたり、数本の柱の上端を結んで支柱としたテントのような住居を利用したと推測されています。
近年、大阪の「はさみ山遺跡」で発見された直径6メートルの皿状のくぼみから、旧石器時代後半にも竪穴式住居を連想させるやや固定的な住居が垣間見えています。
旧石器時代が終わり、定住生活が始まったと考えられる縄文時代の集落と住居を紹介します。
移動生活から定住生活へと移った縄文時代
マンモスなどの大型獣を追いかけて移動生活を続けていた旧石器時代から、縄文土器を発明した縄文時代には、定住生活が本格的に始まっています。
縄文時代早期にあたる富山県の神明原遺跡の住居跡や、立山町吉峰遺跡の縄文集落が発掘されていて、いずれの遺跡からも労力をかけてつくられた竪穴式住居が発掘されています。
縄文時代の集落は、中央の広場を住居が環状に配置され、少し離れた場所に墓地や貝塚がつくられています。
自然と共存した生活の継続を考慮した集落での定住生活を営むために、集落内に身分制度や階級がつくられることなく、共存した生活の基盤があったことは、竪穴式住居の大きさや場所にそれほどの違いがないことからも推測できます。
縄文時代に定住生活が可能となった理由には?
縄文時代に定住生活が本格化できたのは、縄文土器の発明や、弓矢などの道具を活用した狩猟や漁労を生活の基盤としながら、温暖となった気候を活用した広葉樹林の木の実を採集し、次第に栽培を始めたことにあります。
氷河期にあった旧石器時代とは違い、縄文時代は自然の恩恵を最大限に活かしながら、そのバランスを崩すことなく共存することを最優先とした植物食を中心とした食生活へと転換したことも、定住生活を可能にしています。
菜畑遺跡や板付遺跡にみつかっている縄文時代晩期に伝わった稲作の痕跡からも、弥生時代に本格化する稲作農耕の基盤となる農耕文化と共に定住生活で構築される集落での協業が定着しています。
温暖化した縄文時代に定着した定住生活
氷河期にあった旧石器時代が終わると、マンモスなどの大型獣が絶滅し、シカやイノシシといった中小型の動物を狩猟対象とし、ドングリやトチノミといった広葉樹林の木の実を縄文土器による調理を可能にしています。
植物食を中心とした食生活への転換が可能となり、縄文時代には竪穴式住居をつくり定住生活が本格的に始まり、それにより集落が形成されています。