縄文時代の人々は、お風呂に入っていたのか?

天然の温泉が各地に点在する日本では、日々の疲れを癒すために温泉宿に出かけたり、多種多様な入浴剤を購入して自宅のお風呂に入れるなど、日本人はさまざまにお風呂を楽しんでいます。

風呂といえば、今では湯に浸かることを言いますが、元々は蒸気風呂のことを意味し、昔は僧侶が風呂屋者といわれた人たちに石や土の室を築かせ、蒸風呂を作らせたことが始まりと言われ、湯には、太古より自然界の霊を礼拝や祈願する際に身を清めて穢れを祓うための沐浴が起源とされています。

そのため、日本人と風呂の関わりは、6世紀ごろに伝わった仏教との関わりが深く、建立された寺院には湯堂や浴堂とよばれる沐浴の施設が作られています。

仏教が日本に伝わる以前の日本人は、一体いつ頃から入浴し、縄文時代の頃にはお風呂に入っていたのかを紹介します。

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日本での風呂の風習や慣習には?

日本での風呂の風習や慣習には、現在のような体の汚れを落とすための入浴と沐浴と呼ばれる二種類が考えられます。

紀元3世紀の中国の歴史書には、日本人の潔癖性の記述があり、仏教が伝わって建立された寺院には湯堂や浴堂といった沐浴のための施設が作られています。

仏教では、入浴によって病を避け福を招来するとして奨励され、施浴によって一般民衆への開放も進んでいます。

仏教が伝わる以前の日本では、古くから桶に水を入れて体を洗う行水や蒸風呂があり、いずれもいつ頃から始まったかは明らかにはなっていません。

縄文時代の人々は、お風呂に入っていたのか?

仏教伝来以前の古代日本、縄文時代の人々が日本列島に住んでいた約6000年前には、地中から湧いた湯に入ったという見解があります。

考古学者の藤森栄一氏が行った長野、上諏訪駅前の発掘調査では、縄文時代前期に使われていた土器片の発掘された層に、大石がほぼ環状に並んだ場所が確認され、硫化物の臭いから硫黄質の湯が湧いていたと推測されています。

各地で発見された縄文時代の遺跡には、現在の温泉がある場所と隣接するものも多く、縄文人と温泉の関わりが想像されます。

縄文時代に残された遺跡からは、お風呂があった痕跡や湯に浸かって体を清めるという習慣も確認できませんが、体の清潔を保つための水浴びや温泉が湧く場所の近くを活用した入浴に近い行動はあったと想像できます。

日本人がお風呂に入り始めた原点は、縄文時代にも?

日本人がお風呂での入浴をはじめたのは、仏教が伝わった6世紀ごろに寺院に作られた湯堂や浴堂といった施設から推察され、それ以前にも水浴びや行水も想像されます。

縄文時代の遺跡からは、お風呂の施設などは確認できず、入浴の習慣も確認はできませんが、源泉に近い遺跡の場所には、意図的に大石が環状に並べられた場所が確認されています。

発見された縄文時代の遺跡や遺物からは、縄文人がお風呂での入浴の習慣はなくとも、水浴びや温泉を利用した沐浴が行われていたと推測できます。

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