縄文時代と弥生時代、それぞれの暮らしの特徴と違い

縄文時代と弥生時代の違いといえば、土器と稲作が真っ先に思い浮かぶほど、ほとんどの人が歴史の授業でもお馴染みです。

縄目模様の分厚い縄文土器と、直線や幾何学模様がデザインされた薄手の弥生土器の違いは、時代と共に土器の作り方が進化しています。

土器の進化に加えて、狩猟や採集を中心とした生活から、稲作を中心とした農耕生活へと暮らし方が変わったことが、縄文時代と弥生時代の大きな違いとなっています。

土器の違いと狩猟や採集から稲作へと生業が変化した縄文時代と弥生時代の暮らしの違いについて紹介します。

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縄文時代の暮らしとさまざまな文化

旧石器時代と同様、自然との共存をはかる暮らしを継続した縄文時代には、それまでのマンモスなどの大型動物から鹿やイノシシを狩猟対象とし、植物の採集に加えて栗などの栽培もはじまり、一定の期間を特定の場所に定住する生活が始まっています。

定住がすすむ縄文時代の人々は、食料貯蔵や料理に利用できる縄文土器を発明し、固い皮に覆われた広葉樹林の木の実が粉にされ、アク取りも可能にされ、食料が煮炊きされるようにし、土器の形状を変えることで、食料貯蔵も可能にしています。

狩猟により得られた動物の肉を中心とした食生活のイメージが強い縄文時代ですが、温暖化する気候で広がる広葉樹の木の実、ドングリやとちのみなどを粉にした物などを主食として暮らしていて、意外にも植物の栽培や採集が暮らしの中心となっています。

縄文時代や弥生時代の暮らしは、各地にみつかった集落遺跡の貝塚の研究から徐々に明らかにされています。

稲作を中心とした暮らしだった弥生時代

縄文時代の後半になると大陸から稲作が伝わり、それまでの栗などの栽培から、水田による稲作がはじまります。

一人ではできない稲作に関わる農作業をこなすために、それまでの集落の形成が「ムラ」や「クニ」といった集団にかわり、それまでにはなかった身分階級や指導者があらわれ、収穫物である米の分配にも影響が及んでいます。

弥生時代の社会組織や階級があったことは、弥生時代に作られた墓や副葬品として納められている銅矛や銅鏡などによって解明されています。

また、弥生時代後期には、「墳丘墓」と呼ばれる土や石を積み重ねて丘のようになった墓が作られていて、当時の社会での指導者的な人物の存在を示す証拠となっています。

稲作が本格的に始まった弥生時代のはじめは、米の生産能力が低かったために、大麦や小麦といった畑作も並行して行われ、食生活や居住環境は縄文時代とそれほどの違いはないものの、使用された土器や石器、そのほかの金属器などの道具は変化し、暮らし方も変化しています。

縄文時代と弥生時代の暮らしの違いは?

縄文時代と弥生時代の暮らしは、食料確保のために行っていた狩猟採集文化と稲作文化の違いとなっています。

旧石器時代から続いた狩猟採集による移動生活から、縄文土器の発明により、一定期間を定住した縄文人は、植物の採集だけでなく栽培を始めて集落を形成しています。

さらに、水田による稲作が本格的にはじまった弥生時代には、農作業をこなすために形成された集落や集団が、次第に「ムラ」や「クニ」として組織され、階級や指導者が登場し、それまで立場の違いがなかった平等な暮らしが徐々に変化し始めます。

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