縄文時代におきた富士山噴火と上中丸遺産

日本列島の象徴的な山となっている富士山も、以前は活火山として活発に噴火を繰り返した時期があり、現在でも休火山として噴火の可能性を秘めています。

火山前線の上にある日本列島は、ユーラシアプレート、北米プレート、太平洋プレート、フィリピン海プレートの4つのプレートがせめぎ合っていて、約1万年前に日本人が住み着くはるか昔の約2000万年前から存在し、地下マントルの活動が活発であったがゆえに豊かな四季のある自然環境となっています。

約1500の火山が世界にあるといわれ、そのうち110の活火山が日本に集中していて、一旦噴火が起きれば、一瞬にして文明を崩壊させる可能性を持っています。

縄文時代の中期に二回起きた富士山噴火にも関わらず、富士山麓で生活を再建した遺跡が発見されています。

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富士山噴火や土石流に遭いながらも、再建された痕跡を残す遺跡

縄文時代中期は、富士山の火山活動が活発で、100年に数回程度噴火したとされ、富士山麓に見つかった上中丸遺跡には、富士山噴火と生活再建の痕跡があります。

現在の山梨県富士吉田市にある上中丸遺跡は、約4600年前から4500年前の縄文時代中期末にあった集落の跡として発掘されています。

発掘調査から、富士山噴火の火山灰で埋もれた竪穴住居が見つかり、富士山噴火の数年から数十年後に土石流の被害を受けた地層も発見されています。

また、住居跡の近くには、積もった火山灰を掘って作られた穴が見つかっていて、木の実などを貯蔵した痕跡があることから、富士山噴火で一時は避難しながらも、生活再建のために同じ場所に戻り、その後立ち去ったと推察されています。

移動生活から定住生活へ移行した縄文時代がわかる上中丸遺跡

石器を主に使い狩猟のために洞窟を住居とした移動生活を続けてきた旧石器時代から、温暖化した気候へと急激に変化した縄文時代には、狩猟対象がマンモスなどの大型動物から、鹿やイノシシといった中小型の動きの早い動物へと変わり、植物の採集や栽培を行うことで、一定期間を同一の場所で暮らす定住生活が始まっています。

富士山噴火や土石流の災害に遭いながらも、同じ場所での生活再建をはかった痕跡が残る上中丸遺跡には、住み慣れた場所での生活を選択をはじめた縄文人の気質が、それまでのイメージとは違うものとなっていると解釈できます。

火山灰で埋もれた竪穴住居跡や再居住した痕跡は、西桂町の宮の前遺跡や都留市の久保地遺跡でも見つかっていて、富士山噴火による被害を受けながらも同じ場所で生活再建をはかった縄文時代の人々の暮らしが垣間見え、住み慣れた場所への執着も感じられます。

富士山噴火が起きて同じ場所での生活再建を試みた縄文人

旧石器時代から続いた移動生活が、縄文時代中期には、狩猟による食糧不足を植物の採集や栽培によって補完できるようになり、定住生活が定着しています。

そんな縄文時代中期に起きた富士山噴火とその後に起きた土石流被害にあった富士山麓の集落跡が残る上中丸遺跡には、富士山噴火で一旦避難したものの、同じ場所に戻って生活の再建をはかった痕跡があり、縄文人が住み慣れた場所での生活を望むようになった気質の変化がみられます。

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