縄文時代にはどんな祭りがあったのか?

日本各地で行われる祭りには、大勢の人が集まるイベントの性格が強い「祭り」も多く、古代から続く死者を祀り、豊作を祈願した祭りとさまざまな行事となっています。

季節の変わり目や人生の節目などで行われてきた祭りも、時代と共に変容しながらも、古代から続く信仰や宗教観をそのままに継続するものも多くあります。

祭りの始まりとなった縄文時代の遺跡からは、祭事場となった高床式の建物も確認されており、約1万年も続いた縄文時代のそれぞれの時期で変容したと考えられます。

縄文時代に始まった「祭り」について紹介します。

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縄文時代から続く日本の「祭り」の語源と目的

縄文時代に始まったとされる「祭り」には、自然災害や病気、悪霊などを避け、神や精霊を祀る意図と、男女が交わるといった意味も含まれています。

旧石器時代から縄文時代となった当初は、30人程度の集団で生活し、その集団内での祭りは、歩行の延長上に生まれた踊りからトランス状態となった男女が交わったと考えられ、その過程で、精霊への祈りも捧げられています。

つまり、縄文時代に生まれた「祭り」には、超越的な存在である神や精霊をもてなし、願い事をするという意味があり、現代の神社や仏閣で行われる祭りに継承され、イベント的な「祭り」が付加されています。

縄文時代の時期で変化した「祭り」の形態

縄文時代の前期には、30人程度の単一集団内で飢えの恐怖と戦いながら狩猟と採集生活を継続しながらも、精神的な解放と将来への可能性を見出す収束場所として「祭り」が行われ、次の世代へと引き継がれています。

縄文土器の発明や採集生活により、食糧の確保が改善されるようになると、精霊への祈りを強化した土偶を使った祭祀がはじまります。

縄文時代の中期になると温暖化が進み、それまでの針葉樹林から広葉樹林へと変わり、食料確保と共に人口が増加し、前期の単一だった集団の規模が拡大すると共に分化しています。

次第に、集団同士の縄張りの確保や植物の生産における協働、出産可能な女性を移籍させるなど、集団同士間の交流と共に男女が交わることで、集団の結束力を維持しています。

その際、非日常的な「祭り」が行われていて、細長い石を横に放射状に並べ、その中央に直立する細長い石を置いたストーンサークルと呼ばれる祭り場は、男女の性器の結合が表されています。

現代の祭りの原点は、縄文時代にある?

日本の「祭り」の原点は、縄文時代に始まった神や精霊を祀った「祀り」と祈りを捧げる過程で踊る「祭り」でトランス状態となった男女間の交わりとされています。

約1万年も続いた縄文時代では、始まった当初から時間の経過と共に、生活を送る集団の形成が30人程度の集団から、次第に構成人員が増加して分化し、それぞれの集団同士の交流と対立が、新たな祭りを生み出しています。

縄文時代の祭りには、日常的な性や踊り、神や精霊への祈りが基盤となっていて、生活形態の変化と共にその形態と宗教的な意味が加えられています。

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