縄文時代の朝鮮半島との関わりと交流

古代の日本列島は現在の地理的な形状とは異なり、氷河期にあった旧石器時代には大陸と陸続きであったり、温暖化を迎えた縄文時代には海水面が上昇し日本列島が形作られます。

狩猟や採集を中心とした生活を送った旧石器時代や縄文時代から、稲作が本格化した弥生時代といった日本の先史時代には、丸木舟を利用した長距離の交易が行われています。

北海道にしかない物産が南部の地域で発掘されたり、逆の場合もあり、また、朝鮮半島や大陸との交流を示す黒曜石も発見されています。

縄文時代の人々の朝鮮半島との関わりや交流について紹介します。

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旧石器時代から縄文時代にかけて使われた丸木舟

千葉県に発見された縄文時代遺跡からは、約100例を超える丸木舟が出土していて、日本列島各地と朝鮮半島、大陸との交易や交流が行われていたことが推察されます。

縄文時代につくられた丸木舟は、巨木を焼いた石を利用してくり抜いて成形され、現代のカヌーのような形状をしています。

水上での最初の乗り物として、古代日本列島各地で使用された丸木舟はモノコック構造で、壊れる危険性や水没の可能性も少ない安全性を有し、縄文時代の後期や晩期のものが多く出土していますが、早期や前期の出土例も各地にあります。

縄文時代の丸木舟は、当時の漁労や各地との交易に利用したと考えられ、日本列島各地だけでなく、朝鮮半島や大陸との交易や交流にも利用されています。

縄文時代の朝鮮半島との交易や交流の痕跡

縄文時代の朝鮮半島との交易が行われていた証拠には、現在の佐賀県にあたる地域から産出した黒曜石が、朝鮮半島の釜山にある東三洞貝塚から出土していて、新石器時代の朝鮮半島の土器が対馬や壱岐から発見されていることなどがあります。

これらの遺物の痕跡から、旧石器時代から縄文時代にかけて、現在の九州北部と朝鮮半島南部では海峡を往来したと推測されています。

この他にも、縄文時代の日本列島でつくられた縄文土器が朝鮮半島の南部で発見されたり、逆に対馬や壱岐、九州北部から朝鮮半島の櫛目文土器や釣り針、中国製耳飾りも見つかっています。

縄文時代の朝鮮半島との交易や交流は、縄文時代後半から晩期には中国ではじまった稲作の種籾と水稲技術が伝わったと考えられ、菜畑遺跡や板付遺跡にその痕跡がみられます。

縄文時代の朝鮮半島との関係を示す遺跡や遺物

縄文時代の日本列島と朝鮮半島との交易や交流の痕跡は、各地で発掘された丸木舟や九州北部と朝鮮半島のそれぞれにみつかっている遺物があります。

九州北部で産出される黒曜石や日本列島でつくられた縄文土器などが朝鮮半島の南部から発見され、逆に朝鮮半島でつくられた櫛目文土器や釣り針、中国製の耳飾りが日本列島側でみつかっています。

縄文時代の日本列島と朝鮮半島の交流によって、稲作技術が伝えられたことで、日本列島は縄文時代から稲作が本格化する弥生時代を迎えています。

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