縄文時代の埴輪と土偶の違いは?意味は?

古代の日本といえば、洞窟を転々とした原始人や卑弥呼がいたとされる古代の村などと共に、埴輪や土偶といった土製の焼き物も連想されます。

女性を形取ったとされる土偶の姿は、独特の形状をしていて、見方によっては宇宙人のようにも見え、埴輪も独特の形状をしています。

埴輪は、NHKが製作した「はに丸くん」のキャラクターのモデルとしても有名ですが、土偶も縄文遺跡が発掘された各地で公式キャラクターが作られています。

土偶は今から約1万3千年前から約2千400年前の縄文時代に、埴輪は3世紀後半から6世紀頃の古墳時代に作られたという違いがあり、作られた意味も違います。

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縄文時代に作られた土偶とは?

縄文時代に作られた土製の焼き物である「土偶」は、人や動物の形に作られ、全国各地に約1万5000点が出土しています。

女性の特徴を表現したように胸が膨らんでいたり、サングラスをかけたような形状をした土偶などが有名ですが、作られた時期によって、その大きさや形は様々です。

土偶が作られたのには、「豊穣を祈る」意味があると言われていますが、文字の記録がない縄文時代のため、明確な判断はできていません。

土偶には破損した状態のものが多く、古代に作られたため壊れていたのか、意図的に壊して使われたものか、明確な理由は分からないものの、危難を避けるために一部を壊したとする「身代り信仰」の意味があったとも推測されています。

古墳時代に作られた埴輪とは?

縄文時代の土偶と同様の土製の焼き物である「埴輪」は、古墳時代に作られた古墳から大量に出土していて、葬儀用品、あるいは副葬品としての意味が考えられています。

破損した状態のものが多い土偶とは違い、埴輪は完全な状態のものが多く見つかっていて、埴輪の形状から、円筒埴輪と形象埴輪という二種類に分類されます。

円筒埴輪は、死者を囲むように並べられているため、埋葬する死者の聖域を示すための意味で並べられていると考えられます。

形象埴輪は、人や物、動物の形をしていて、NHKのキャラクター「はに丸くん」も形象埴輪をモデルにもなっていて、亡くなった人があの世で寂しくないように、古墳に副葬品として一緒に埋葬されたと考えられます。

縄文時代の土偶と古墳時代の埴輪

古代日本で作られた土製の焼き物である土偶と埴輪の違いは、それぞれが製作された時代が縄文時代と古墳時代であることです。

土偶は豊穣を祈る意味で作られ、埴輪は死者が黄泉の国で寂しくないように古墳に埋葬された副葬品の意味を持つとされています。

縄文時代の土偶は、女性を模したものが多く作られているため、出産や豊穣、再生といった祈りの意味が考えられていますが、発見されている土偶には壊れているものが多く、身代り信仰などが推測されますが、明確な理由は判明していません。

土偶と埴輪には、それぞれの時代の思想や信仰が背景となっていることは推測できますが、明確な意味は今後の調査や研究で解明されそうです。

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