縄文時代に食べ物をめぐる戦いはあった?

現代でも、幼い兄弟や姉妹の間でのオヤツの取り合いのような喧嘩はあり、国同士の食物の奪い合いが原因となる経済戦争や国家間のさまざまな利権の衝突で起きる戦いは、世界中のあちこちに生じています。

人類が集団を形成するようになって繰り返されてきた戦争は、集団同士の経済上、あるいは生活上の対立が前提となって引き起こされています。

定住生活が始まり、集落という集団が形成された縄文時代の遺跡からは、攻撃用の武器や防具が見つかっておらず、戦いの傷を負った人骨も他の時代とは比較にならないほど少数です。

有史以来戦いが存在した人類の歴史の中、なぜ、縄文時代には戦争がなかったという説があったのか考察してみます。

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戦いの痕跡がない縄文時代の遺跡や遺骨

縄文時代の草創期の愛媛県上黒岩洞窟からは、骨角器の尖った道具が刺さった男性の腰の骨が出土していて、縄文土器によって区分される縄文時代の各時期に矢尻が刺さった人骨は見つかっています。

しかしながら、発見された矢尻などの傷を負った人骨は、ごく少数で、戦いや戦争での傷とは考えにくく、事故や争いとする解釈は研究者の中でも判断が分かれています。

何れにせよ、縄文時代の遺跡からは、戦争のための武器や防具が見つかっておらず、磨製石器による剣や刀の用途を果たす道具類の先端は丸みを帯び、権威の象徴として利用された可能性が強く、戦いのために利用された痕跡は認められていません。

定住生活が始まった縄文時代の集落につくられた墓地には、集落内の身分や階級の違いは見られず、戦いを指導したリーダーを葬ったような痕跡もみられません。

戦いを避けるために稲作文化を拒絶した縄文時代の人々

稲作が本格化した弥生時代以降には、「ムラ」や「クニ」といった社会組織が形成され、集団ごとに身分制度や人々の間に階級が生まれ、それぞれの対立によって引き起こされた戦いが激化して戦争を引き起こしています。

縄文時代の人々は、それまでの狩猟を中心とした生活から、温暖となった気候により広がった広葉樹林を活用した植物の採集や栽培を行った植物食中心の生活への転換をはかり定住生活を始めています。

縄文時代の早い段階で大陸から伝えられたと考えられる稲作を受け入れなかったのは、大陸で起きていた稲作農耕と戦争の可能性を感じ取っていたためかもしれません。

自然との共存を図った縄文人の独特の感性が、世界的にも類をみない約1万年も続く縄文時代を継続させたと考えられます。

縄文時代に戦争のような戦いの痕跡はない?

氷河期が終わって温暖化した日本列島で定住生活が始まった縄文時代の人々は、竪穴式住居をつくり集落を形成しながらも、身分制度や階級などを設けた痕跡はありません。

集落の構成員の能力差を相互に認めながら、収穫物を均等に配分することで、食べ物や生活上の戦いを避け、永続的な生活の継続をはかったと推測されます。

そのため、縄文時代の遺跡からは戦いのための武器や防具が発見されておらず、大陸で起きていた稲作文化と戦争の組み合わせから、集団の対立を生むと想定された稲作文化を拒絶したと想像されます。

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