縄文時代の日本列島に推定される人口は?

日清戦争が集結して国勢調査の機運が高まるものの、実際の国勢調査が開始されたのは大正9年で、それ以降は詳細な人口統計が残されています。

現在の日本の人口統計は、総務省統計局が五年毎に実施される国勢調査や各都道府県による人口統計値で表され、2015年10月1日現在で127,094,745人となっています。

国勢調査が開始される以前の明治時代の人口については、内務省や内閣統計局によって公表されている戸籍による人口集計が行われ、江戸時代以前の人口については、研究者による推定人口の変遷がまとめられています。

特に、縄文時代や弥生時代といった先史時代の日本列島にいたと推測される人口については、歴史人口学の鬼頭宏氏が2007年に整理された日本の人口の超長期推移に示されています。

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縄文時代の日本列島に推定される人口は?

歴史人口学の鬼頭宏氏による縄文時代の日本列島の人口数は、発見された遺跡数などから推計によって算出されていて、縄文時代早期の8100年前、縄文時代前期の5200年前、縄文時代後期の4300年前、縄文時代晩期の2900年、弥生時代1800年前の人口が推定されています。

それによれば、縄文時代早期の人口が2万人、前期が11万人、中期が26万人、後期が16万人、晩期が8万人、そして、弥生時代には59万人とされています。

縄文時代の日本列島の人口数が、中期までは右肩上がりに増加しながら、後期と晩期にかけて急激な減少となり、その後、弥生時代に再度急増したことがわかります。

日本の人口は現在に至るまで、超長期的には右肩上がりの増加傾向が見られますが、その中に増加と停滞の時期が何度か繰り返しており、縄文時代と弥生時代もそのひとつの時期にあたります。

縄文時代と弥生時代に起きた人口の増加と急減の理由は?

僅か2万人だったと推定される縄文時代早期の日本列島の人口は、縄文時代前期となる6000年前には平均気温が現在より1度以上高くなり、東日本ではブナを中心とした針葉樹林からコナラや栗といった広葉樹林が広がり、食料の供給状況が改善されて、縄文時代前期と中期にかけて26万人まで人口が増加しています。

平均気温が上昇した気候は、4500年前から再度寒冷化し始め、縄文時代の晩期にあたる2500前には最も高い時期より3度も低くなり、26万に増加した人口が8万人まで急減しています。

しかしながら、縄文時代の後期に大陸から伝わった稲作農耕が次第に普及し始め、弥生時代を迎えると「ムラ」や「クニ」などの組織が形成されたことも食料供給が改善され、急激な人口増加につながっています。

縄文時代に起きた人口の増減は、当時の日本列島に起きた気候の温暖化と寒冷化、稲作などの食料調達の状況の変化が影響したと推測できます。

縄文時代の日本列島に推定される人口

大陸と陸続きだった縄文時代の日本列島は、わずか2万人と推定される人口から始まっていて、氷河期が終わり温暖化する気候と共に、縄文時代中期にかけて26万人まで増加しています。

温暖化した気温が再度寒冷化されたことで、縄文時代の晩期には26万人から8万人まで人口が急減しています。

狩猟採集を中心とした縄文時代の人口の増減は、日本列島の気候状況が大きく影響しています。

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